教会の沿革(歴史)

軽井沢教会は
国籍、境涯、教派を越えた祈りから
始まった教会です。

聖公会のアレクサンダー・クロフト・ショー宣教師は1885年に軽井沢を訪れて以来、日本各地に派遣されていた宣教師たちに避暑地として軽井沢を勧めました。軽井沢を訪れる宣教師は年々増え、軽井沢での伝道活動を行うようになりました。

宣教師たちの伝道活動の中で、上原九市さんは神様を信じ、E・S・ スティヴンス宣教師から洗礼を受けます。彼は1897年のユニオン・チャーチ設立を見て、年間を通じて礼拝をささげ、聖書を学ぶことができる日本人のための講義所がほしいと望みました。そのために自身に洗礼を授けてくれたスティヴンス宣教師のもとを訪れます。スティヴンス宣教師は「礼拝をし、聖書を学ぶのは講義所ではなく、教会であるべき。しかし、教会はやりたい、ほしいで始められるものではない。祈り、待とう」と示してくださり、上原さんは教会設立を祈り求め

ダニエル・ノルマン宣教師

また、ユニオン・チャーチで行われる教派を越えた合同会議で、軽井沢に日本人のための教会を建設することが決議されました。地元の信仰者たち、避暑で訪れる信仰者たち、宣教師たちが共に祈りを合わせる、その中心にいたのがダニエル・ノルマン宣教師です。1905年12月1日に軽井沢教会の前身である「軽井沢合同基督教会」が始まり、ノルマン宣教師の呼びかけで初代牧師として加家美牧師が招聘され、上原九市さんの家を借りて伝道活動を始めました。教会設立当初、教会員は18人でしたが、夏期には多くの宣教師や日本各地のクリスチャンたちを迎え150人の人々が共に礼拝を行ったそうです。

1932年になると、次第に財政的な目途が立ち自立した教会運営ができるようになりましたが、ノルマン宣教師は教会設立前から約40年にわたって軽井沢教会を支え続けてくださいました。

現在、礼拝出席は25人〜30人くらいですが、夏期には60人を越えることもあり、国内外の信仰者を隔てることなく受け入れる教会の姿勢が引き継がれています。